2019/09/03 ザ・ベストテン 80年代歌謡曲 松田聖子 歌謡曲が好き

松田聖子さんとザ・ベストテン


目次
  1. デビュー曲の「裸足の季節」
  2. 1980年8月14日「青い珊瑚礁」
  3. 1980年9月18日「青い珊瑚礁」
  4. 1980年10月23日「青い珊瑚礁」「風は秋色」
  5. 1981年2月5日「チェリーブラッサム」
  6. 1981年3月26日「チェリーブラッサム」
  7. 「夏の扉」「白いパラソル」「風立ちぬ」
  8. 「赤いスイートピー」
  9. 「渚のバルコニー」
  10. 「小麦色のマーメイド」
  11. 「野ばらのエチュード」
  12. 1983年以降

松田聖子さんとザ・ベストテンは1980年の大きな変化の年に突然現れたような印象があります。
裸足の季節
松田 聖子
1980/4/1

デビュー曲の「裸足の季節」

デビュー曲の「裸足の季節」はベストテンにランクインしていないわけですが、それでもいろんな番組で取り上げられ、可愛くてしかも伸びやかなその声に「もっていかれた!」という方も多かったことでしょう。裸足の季節は11位と惜しいところまでいきまして1980年7月3日のスポットライトに登場しています。この曲はCMソングでしたが、本人が出演していなかったのですね。


青い珊瑚礁
松田 聖子
1980/7/1

1980年8月14日「青い珊瑚礁」

そして1980年8月14日のザ・ベストテン。「青い珊瑚礁」で8位に初登場した松田聖子さんは札幌からの全日空機を待って、羽田空港のスポットでの歌唱となりました。今の全日空のカラーとは違う淡いブルーの機体からいちばんにタラップを駆け下り、搭乗者が連絡バスに吸い込まれる様を見ながらの歌唱。



このときのTBSと全日空、羽田空港や航空当局とのやりとりは大変だったと思いますが、結局全日空機は滑走路端まで使い、ゆっくり誘導路を進み、中継に合わせたかのように到着しました。まだ混雑していたとはいえ羽田空港に若干の余裕があった時代だったからこそで、今ではとてもできない芸当かと思います。多分全日空の地上スタッフが番組を見ながら、なおかつスタッフと打ち合わせ、なおかつ誘導路変更を空港ターミナルの管制と打ち合わせてのことですから「単なる歌番組」にこれだけ協力できるだけの影響力と人気を誇っていたとも言えます。

1980年9月18日「青い珊瑚礁」

9月18日。ザ・ベストテンで初の1位に輝きます。TBSスタッフはなんと福岡の彼女の母親に「弁当」を作って貰うわけです。番組スタッフが飛行機でそれを受け取りに行き、番組終盤1位で登場した松田聖子さんに見せるわけです。母親の手作り弁当を見て思わず「おかーさん!」と叫び、そして中継で母親と会話する。今見るとこのようなクサい演出は好まれませんが、当時ひとり東京へ出てきてわずかな期間でトップアイドルに上り詰めた聖子さんをサプライズで祝うか、TBS関係者は悩ませたのだと思うわけです。

風は秋色
松田 聖子
1983/12/21

1980年10月23日「青い珊瑚礁」「風は秋色」

青い珊瑚礁はその後も11週にわたってランクインします。その最終週が1980年10月23日。2ヶ月以上毎週同じ曲が披露されてたわけです。そしてこの週、松田聖子さんは10位に次の曲「風は秋色」がランクインし、6位の青い珊瑚礁とともに大阪厚生年金会館で歌うわけです。この日MBS毎日放送の新人イベントだったかと思いますが、新人としては既に抜きん出たものを誰しもが感じていたわけです。


青い珊瑚礁、風は秋色の2曲で松田聖子さんは1980年8月14日から1981年1月15日まで22週間毎週ランクインしており、人気を不動なものにしています。
チェリーブラッサム
松田 聖子
1982/12/5

1981年2月5日「チェリーブラッサム」

1981年はわずか2週空けただけの1981年2月5日に「チェリーブラッサム」で4位にランクイン。

1981年3月26日「チェリーブラッサム」

この間も20位以内に風は秋色が入っていました。この1981年3月26日には新幹線が静岡に停車中のわずかな時間歌唱するということも行われました。この当時ワイヤレスマイクやワイヤレスイヤモニを使っての演出はまだまだ新しく、静岡駅には野次馬が殺到、ドアが開くなりイントロが流れてホームで歌唱もそのまま新幹線の中に。マイクとイヤモニがワイヤレスであったのは最初からドアが閉まっても歌い続けられるということだったのでしょう。
これもTBSが当時の国鉄新幹線総局と掛け合ってのことだったと思いますが、よく許可が下りたものだと思いますし、さすがに今では無理な案件とも思います。
夏の扉
松田 聖子
1981/4/21

「夏の扉」「白いパラソル」「風立ちぬ」

1981年5月7日には「夏の扉」でランクイン、これもチェリーブラッサムがランク外に落ちて3週しか経っていません。この頃は初主演映画「野菊の墓」の撮影中で大泉の東映撮影所からの中継も何度かありました。1981年8月13日からは「白いパラソル」1981年10月22日からは「風立ちぬ」がランクイン、いずれの曲も間は3週、1週とほとんど開くことはありませんでした。

赤いスイートピー
松田 聖子
1982/12/5

「赤いスイートピー」

1982年2月には「赤いスイートピー」がランクイン。2月11日には新横浜駅の降車歌唱が行われています。前年の静岡駅歌唱はよほど印象に残っているのかもしれませんが再度許可を出した国鉄の意外な柔軟性も面白いなと思うわけです。(そういう意味では新幹線総局は国鉄でも異端な部門だったと言われていますし)


また、この頃過労が原因の急性胃腸炎で倒れ緊急入院などで数回欠席しています。さすがに忙しすぎるスケジュールが見て取れます。
渚のバルコニー
松田 聖子
1982/4/21

「渚のバルコニー」

1982年5月6日からは「渚のバルコニー」がランクイン。

小麦色のマーメイド
松田 聖子
1982/12/5

「小麦色のマーメイド」

8月12日からは「小麦色のマーメイド」ランクイン。大阪梅田コマ劇場の自身の主演舞台もあり、8月26日はここから中継で登場しています。

野ばらのエチュード
松田 聖子
1982/11/10

「野ばらのエチュード」

11月4日からは「野ばらのエチュード」がランクイン。フジテレビのかくし芸大会の収録会場からの生出演が11月11日。83年1月までランクイン。

秘密の花園
松田 聖子
2012/3/14

1983年以降

1983年は松田聖子さんにとって転機の年だったと思います。3月28日沖縄市営体育館でのコンサートでの歌唱中に観客に殴られ、右頭部と右手を負傷。この日はトップテンの中継が予定されており、その様子が撮影されていたため、その後ワイドショーで何度もその蛮行を見ることになります。聖子さんはそのまま入院するも4月11日にはイベント復帰、その後の記者会見でも笑顔を見せますが、その精神力、プロ意識は今思い出してもすさまじいものがあります。

この年も「秘密の花園」「天国のキッス」「ガラスの林檎」「瞳はダイアモンド」「SWEET MEMORIES」とランクイン。SWEET MEMORIESはB面曲でCMソングとして使われることで両A面として再販された曲です。デビュー当時の声が出なくなってきていて、少しハスキーな声がとてもよく似合っていて、個人的にも好きな曲です。

天国のキッス
松田 聖子
2012/3/14

ガラスの林檎
松田 聖子
1983/12/21

Sweet Memories
松田 聖子
1983/8/1


1985年の結婚後はほとんどザ・ベストテンに登場することがなかった聖子さんではありますが1987年「Strawberry Time」1位獲得で出演。それが最後のベストテンレギュラー出演でした。

Strawberry Time
松田 聖子
2012/4/18

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