「でも、何かが違う」鈴木ヒロミツ
発売日:1975年11月20日
オリコン最高位:48位
売上枚数:5.5万枚
レーベル:東芝EMI
レコード番号:ETP-20200
A面:でも、何かが違う
作詞:マチ・ロジャース
作曲:マチ・ロジャース
編曲:あかのたちお
歌唱:鈴木ヒロミツ
B面:紅
作詞:津坂浩
作曲:ジョニー大倉
編曲:松井忠重
歌唱:鈴木ヒロミツ
残念ながら配信やiTunesでの販売はありませんので、公式ではないyoutubeからになりますが、この歌詞が、なんかいいのですよ。作詞作曲はマチ・ロジャースさん当時のポール・ロジャースさんの妻、ドラマ「夜明けの刑事」のプロデューサーが彼女の姉である野添和子さん。このドラマで刑事役をやられた鈴木ヒロミツさんは当時29歳でしょうか。
このドラマのエンディング、主題歌として「でも、何かが違う」が使われ、挿入歌としてはール・ロジャースさんの「Yoake no Keiji」が使われます。
この「Yoake no Keiji」は記憶が正しければ来日公演時のライブテイク以外音源化されていないはずです。
「でも、何かが違う」の歌詞、どこかしゃがれたというか、ぶっきらぼうに聞こえる鈴木ヒロミツさんの歌と、そして、「駈けてゆくには 遠すぎる 歩いてゆくには もう若くない」というのが、40代も後半になった自分に何かを訴えてくるのです。
過去の経験で仕事はナントカできます。新しいことは頑張って覚えていますが、どこかうまくいかなくって、体力があってガッツがあった過去と、いやいや、その時期の蓄えでなんとかなるじゃないか。「想い出の丘」に取りに戻らなくてもなんとかなるじゃないか。
「でも、何かが違う」
のですよ。
B面の「虹」こちらもジョニー大倉さんの曲ですよ。そしてこちらも歌詞が寂しい。
「きっときっと孤独なんだ、生きてゆくことは悲しいことさ」
虹はつかめないし、夢は拾えないことはわかっているのであります。この当時、1975年は沖縄海洋博が開催され、日本初のテレビゲーム「テレビテニス」が発売される年です。今に繋がる電子化だったり、数々の長寿テレビ番組がスタートする(サザエさん、アタック25なんかもこの年)、そして家庭用ビデオテープレコーダ1号機が発売された年でもあります。
明るい未来が見える、活動的な時代に、やはり、そこになじめず取り残される層は一定いるわけですし、それを思う偽善な方も当然いるわけです。悲しい曲は明るい時代にヒットする。立ち止まって振り返ることを歌う曲は、未来が見える時代にヒットするのです。
今、令和の世に大人になって聞く「でも、何かが違う」と「虹」先が見えないが、過去の資産でもしかしたら生きていけるかも。そう思う自分に「でも、何かが違う」とは訴えかけます。でも、きっと、何も起こさないとも思うのです。