2024/11/18
歌謡曲が好き
安全地帯
玉置浩二
80年代歌謡曲
NHK北海道の「安全地帯・零ZERO~旭川の奇跡~」を見る
目次
安全地帯・零ZERO~旭川の奇跡~
安全地帯
インタビューが多岐にわたる
章を分けた時系列の構成
無理な装飾で泣かせない
貴重な映像、音源が聞かせる
今だから語れるし、今だから番組にできる
これぞプロというドキュメンタリーこそテレビの生き残る道
普段本当に地上波テレビ放送を見なくなってしまっていることに気がつきます。
NHKの18時台のローカルニュースやテレビ東京-テレビ北海道のワールドビジネスサテライトは見逃さないように、今でも地上波5チャンネルを2週間分録画して過去の番組を見ることができるハードディスクレコーダーを動かしています。
しかし、今ではほぼそれが活躍することはありません。過去のテレビ番組の話をされたときに一応振り返る用に維持している感じです。
今はテレビに接続したAmazon Fire TV Stickなど、ネット上の動画配信サービスを見ることができる仕掛けをよく使っていますが、それも毎日長時間見ることは少なくなりました。テレビが遠くなった。
たまたま先日モニター募集していたスカパーネットスティックが当選して設定したのだけど、いまいち使い勝手が悪いのでFire TV Stickに戻して家族が困らないように各アプリの設定をしていました。NHKの見逃し配信できるNHKプラスも一応加入しており、受信料も支払っていますからその設定をしていたときに、気になる番組を見つけました。
安全地帯
安全地帯は1982年2月25日デビュー。当時のデビューシングル「萠黄色のスナップ」の裏ジャケのメンバー紹介を貼っておきます。5人のメンバーが記載されています。
セカンドシングル「オン・マイ・ウェイ」メンバー紹介
そして1982年10月25日発売のセカンドシングル「オン・マイ・ウェイ」ではドラムが変わっています。
このときの
・六土開正
・矢萩渉
・田中裕二
・武沢豊
・玉置浩二
この5人が「安全地帯」という印象が私も強く、何度か活動休止、再始動を行った安全地帯としてもこの5人、それ以外にもメンバーがいたという話しは聞いたことがあるものの、私個人は知るところではありませんでした。
インタビューが多岐にわたる
番組自体は11月22日までNHKプラスで見逃し配信されており全国で視聴可能と思いますので、是非見ていただきたいのですが、今回1時間以上の大きな枠の番組で、その中でも長い時間をとってメンバーや関係者のインタビューで構成されています。そのインタビューに時間をかけていること。これがまず素晴らしいことです。
今時の番組もYoutubeも映像で時系列を流して「タイパ」を重視するとかいいますが、それは結局地道なインタビューや調査に時間をかけていない、制作側の「タイパ」でしかありません。しかし、この番組ではその当時を語る生の声こそがキモとなる部分かと思います。現メンバーの玉置浩二さん武沢侑昂さん(武沢豊さん)のインタビューはともかくです。
最初に語り出す玉置浩二さんの「歌」の部分について実兄の玉置一芳さんが登場します。「安全地帯」としてのメンバーにいたこともあるお兄さんですが、あまりお話しを聞いた記憶がありません。そして中学時代の同級生で一時期一緒にバンドを組んでいた進藤雅仁さんに話を聞く。現メンバー以外に話を聞くというところから始まったということも含めて、すごく興味深く見ました。
章を分けた時系列の構成
番組のわかりやすさが、その章分けを行って、そのときどのようなことが起きていたのかを構成していた部分です。
●第一章 そのバンドが始まる 1972-1973
●第二章 ポプコン 最初の挑戦 1973-1976
●第三章 手作りの音楽スタジオ(8人の大所帯バンドに) 1976-1978
●第四章 訪れた危機 1978-1980
●第五章 “プロになる”ということ 1980-1982
●第六章 旭川の理想 東京の現実 1982-1988
●第七章 今見つめる“あの頃”
起承転結を構成しています。あくまでも「安全地帯」というバンドに対しての番組ですので、1988年以降の活動休止、再開に関しては章を割いていません。ここでは1994年の玉置一芳さん宮下隆宏さんの一時的な再加入(サポートだったのかもしれないが)も触れません。
無理な装飾で泣かせない
初期のメンバーであり、作詞を行っていた武沢俊也さん(武沢兄)のインタビュー、特にメジャーデビューに際する歌詞の直し、補作詞が入ったことなどなどの話は胸を締め付けられます。そして、バンドが売れない中でもう一度彼を復帰させるための説得と、家族を思う話などは、もちろんそれをもっと深く取り上げて悲しい話にすることもできましょう。
しかし、その一歩前で、ちゃんと安全地帯というバンドとして別な方法で前を向いていくということに対する必要性という形にしていますので、もちろん感情移入はしますが、ちゃんとその後売れたこと、それが「もう安全地帯じゃなくなった」という玉置浩二さんの葛藤も取り上げることで、単なる脱退ではないのだということを伝えます。これはドラム未経験で加入し、結果的に辞めさせられることになる大平市治さんの事についても同様でしょう。
Wikipediaでは「脱退」としか扱われないし、メジャーデビュー前後のことはよほどのファンでなければ知る由もないことではあります。しかし、彼らがメジャーデビュー、音楽を「売る」ために葛藤し続けたことを伝えるには、本人の言葉以上の重みはないのです。
貴重な映像、音源が聞かせる
デビュー前の映像や音声、HBCラジオやフジテレビの素材をふんだんに使っていることも特記したいところです。1970年代1980年代当時ラジオが若者の主要メディアだった、だからこそ当時の民放ラジオの音声は貴重なのです。そしてそれがちゃんと保管してあったHBCも素晴らしいことです。多分デビュー前後に井上陽水さんのバックバンドとしての活動時の映像と思われるフジテレビの映像も貴重です。
そしてデモテープ。安全地帯のインディース時代の楽曲を聴く機会は今までなかったのですが、これは素晴らしい、もう一度聞きたいと思わせる楽曲があります。
今だから語れるし、今だから番組にできる
1970年代1980年代に活動してきた音楽関係者のみなさんが、そろそろ60代から70代後半となってきまして、当時の事を語って貰うにはもう時間が少ないという面があります。安全地帯のメンバーも大平市治さん、田中裕二さんがまだ60代でお亡くなりになっています。もちろん生きていればお話しが聞けただろうということもありますが、間に合わなかった。それが残念ではありますが、「昭和の音楽を懐かしむ」だけでなく、もう一歩踏み込んだこのような番組は今後も求められるような気がするのです。
これぞプロというドキュメンタリーこそテレビの生き残る道
もう一度奥さんと全録レコーダーに残っていた番組を再視聴。二人であーでもないこーでもないっていいながら、おなじ時代を歩き、おなじ楽曲を聴いた仲間として番組を見ることができた、これぞ「番組」だったんですよね。
都会過ぎず田舎過ぎない旭川で、70年代当時70以上のバンドが活動できていたことに対する驚きと、自分たちでスタジオを作り、それを維持し、そしてそこからデビューしていくという「恵まれた環境を自分たちで作り上げた」ことに感嘆とするし、そしてその場所の「今」その後のメンバーの「今」をつなぎ合わせて丁寧に創っていった番組の制作陣がすごいとも思う。無理に納めたりしない愛のある番組でした。
このような丁寧な番組作り、インタビューだけでもなく、ちゃんと当時の情報を精査して資料を持参してインタビューに臨むからこそ当事者がその当時を生き生きと昨日のように語ることができるのだとも思います。資料がなければ「うろおぼえ」だらけで貴重な話が聞けなくなるものです。
その時間をかけた調査、インタビューが公式的にできるのがマスコミの最大の強みで、ネット上のライターに難しい部分でもあります。もちろんバンドの話だけでなく、昨今のドキュメント番組が軽薄だなぁと思っていた中で見ることができた番組が非常に上質であったこと、そしてカメラ技法なども含めて、絵が語りかけるものも含めてまだテレビが「終わって」いないことを見せつけたように思います。
まだ見ることができる番組でありますので、この記事で気になった方は是非、NHKプラスを、もちろん様々NHKに対するいろいろはありますけれど、歌謡曲好きとしてもこの番組は非常におすすめできる番組ですので、是非。
NHKプラス 安全地帯・零ZERO~旭川の奇跡~
そしてNHKプラスは字幕を枠外に出せますので、そういう意味でも映像と内容を理解しやすいと思うんです。褒める部分は褒めておきたい。こういう技術は必要なインフラになるはずなんです。NHKの関係者様にも感謝します。そしてもういちど安全地帯を履修したくなりました。
サイトを公開している以上は仕方が無いのですが、真っ昼間からNHKドメインからこの記事に多数アクセスがあり、あまりいい気分にはなれません。「ほとぼり」が冷めているので再度公開しますが、NHKに限らず報道の方は自分たちのドメインでアクセスしていることがどのような意味があるのか、どのように相手に感じられているのかをもう少し考えてアクセスしていただきたいところです。