新:2025年の当サイトアクセス傾向
前:Spotifyにはどの程度「昭和歌謡」が入っているか
次:「ハイスクール・ララバイ」イモ欽トリオ

「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきました


2018/11/21  歌謡曲が好き Queen


先日、最近よくお邪魔しているすすきのの昭和歌謡曲バー「ザ☆ベストテン」さん。
お客様が映画「ボヘミアン・ラプソディ」が素晴らしいというお話をしていまして、俄然興味が湧いてきたというのもありまして、久々に映画館に足を運びました。

この映画、よくある「伝記」スタイルの映画だろうし、歌謡曲も洋楽も分け隔て無く聞いていた私にとってもクイーンは身近ではない、どちらかと言えば過去のバンドのイメージでもあるわけです。フレディ・マーキュリーが亡くなったときも、追悼としてよく聞いたわけですが、当時まだ若い私としてはピンとこないというか、余り魅力的な楽曲に思えなかったわけです。その後NHK教育テレビのハッチポッチステーション内でグッチ裕三さんが「ボヘミアン・ラプソディ」を「犬のおまわりさん」として歌うという腹筋崩壊的でなおかつクオリティが異常に高いパフォーマンス(というか本来の視聴者層であるはずの当時のうちの子供達を置いてきぼりにしてのNHKとグッチさんの真面目な悪ふざけが最高なのです。この番組については改めて書きたい)でこの曲を再認識したくらいですから。
https://www.youtube.com/watch?v=ebfOheB_YrQ
そういう意味であまり期待していなかった映画でもあります。

平日の夜間仕事を終わらせて最終上映。20時過ぎると1300円と割引になるのね。もう公開終盤ですが、お客さんは意外と入っています。客層はオッサン&オバサン。私より少し上の方が多そう。クイーンの実際に売れていた時代を知る人たちですね。

最初のシーンは1985年のライブエイドのステージに向かうフレディさん。そこから1970年の世界から描き出します。このあたりは相応な脚色がありそうな感じではありますが、とても常識的な「伝記」スタイルですね。これが「史実」かはわかりませんが、物語として盛り上げていくいくつかの「ウソ」はありそう。しかし、なんだろう、そういう悪い見方をしている自分が映画に引き込まれていく、そして、その場にいる関係者の一人としてクイーンを見ているような、そんな気持ちになっていくわけです。当たり前ですがこのような成功を収めて長く活動したバンドを2時間で描ききることなどできるわけがありませんから、適度なウソで筋道をつけていくしかありません。しかし、その物語が引き込ませる要因でもありましょう。とはいえ、全ての出来事が「都合がよすぎる」のは感じるところです。これは物語のメインが「ライブエイド」のステージそのものだからとも思うわけですね。下積み時代を細かく描く、バンドのアルバム制作を描く映画ではありません。

その「ライブエイド」は1985年7月13日に行われました。世界84カ国に衛星中継され、日本ではフジテレビが中継権を持ち逸見政孝さんの司会で日本からもオフコースや矢沢永吉さんが世界に向けて中継されました。残念ながら衛星中継が不慣れな時代と逸見さんの洋楽知識の無さ(それは見ていた私もそうだった)で相当な苦情電話がフジテレビに入ったと聞いています。しかも、「ひょうきん族」を優先したため中継時間も短かったというのもあります。今ならCSで放送されそうですね。ライブビデオが出ているそうです。



さて、映画は佳境。ライブエイドのライブパフォーマンス。これがこの映画最大の見せ場です。実際のライブは6曲行われたようで、映画としても6曲完全版として撮影されたようですが、公開されたのは4曲。これが凄い。後から当時の映像を見てみますと、非常にシンクロしてるんですね。フレディ役のラミ・マレックさんの顔は当然フレディじゃないんだけど、鳥肌立つくらいこのステージが凄い。モノマネじゃないんだよね、映画というのを忘れて純粋にライブビデオとして凄いパフォーマンスをするバンドそのものの姿として見ていました。すげぇなって。

エンドロールを見ながら、誰一人立ち上がろうとしない暗い映画館の中で、この映画が何を伝えたかったんだろう?って考えてみる。ストーリーとしては非常に普遍的な構成。生い立ちだったり、バンドとしての成長だったり、恋愛(ここではゲイとしての)だったり、そして裏切りや仲間との絆ということは、どんな映画でもあるもの。しかも取り立てて特殊なものでもない(もちろんセクシャルとしてはまた別だけど)

結局今の世の中でも激しい偏見と価値観に左右され、これに一定の距離を置いていた日本がこれから直面するであろう「移民」「宗教」「LGBT」そして何度も出てくる「家族」というものがなんなのか?家族は必ずしも幸せの象徴ではないし、家族というのは血縁だけのものでもないという、当たり前だけど永遠のテーマがあるのだと思います。そしてその根底にあるのが「個」アイデンティティな部分なのではないかとも感じたわけです。家族の幸せ、周りの幸せは必ずしも自分の幸せではなく、しかしながら、家族の集まったものが組織であり、社会であり、国であるわけで、幸せな社会とはなんなんだろう?多様性とは、個性とはなんなんだろうとも考えさせられるわけです。

そしてラスト約20分のライブエイドで、その歌詞が、その声が、動き一つ一つで訴えかけてくる。これがエンドロールで誰一人立ち上がれず、何か重いものを突きつけられたような、それでいて満足感のある顔でスクリーンを後にするそんな映画だったように思います。

もう一度クイーンの曲を聴いてみたい、そして歌詞を確認したいと思う、そんな映画でした。「映画として普遍的な」構成でここまでのものを見せてくれたというのは感謝ですね。面白い、そしてもう一度見たい映画でした。
新:2025年の当サイトアクセス傾向
前:Spotifyにはどの程度「昭和歌謡」が入っているか
次:「ハイスクール・ララバイ」イモ欽トリオ
このページのURL
https://www.thursdayonion.jp/article.php?article=437
トップページに戻る トップページ
top